ちょっと日にちがずれてしまいましたが、1862年12月12日はイギリス公使館焼き討ち事件があった日です。 教科書にも載っている事件なので何となく名前位は聞いたことがある事件だとおもいます。
結構しょうもない事件で簡単に言うと文字通りイギリス公使館を過激派が燃やした事件です。 正確に言うとまだ竣工前で空き家でしたが… そして当時は犯人は不明でした。
背景をもう少し説明しますと当時の日本はと言うと、 半ば強引な交渉により幕府が開国したことに民衆は腹を立ており 過激派が無責任に外国人を切りつける事件が頻発するという物騒な状況でした。
事件当時は、現在の港区高輪の東禅寺にイギリス公使館あり、そこではすでに2回も襲撃を受けており何人も命を落としています(東禅寺事件)。 そこで、護りやすい地形の品川御殿山へ公使館を移設しようとしていた矢先、建設中の建物を燃やさました。
生麦事件という薩摩藩の大名行列に迷い込んだイギリス人が切り殺される事件や文字通りイギリス公使館襲撃した東禅寺事件、 などの物騒な事件と比べると空き家を放火しただけなので、少しばかり印象が弱くわざわざ大きく取り上げる必要あるのかなと思います。
実際当時のイギリスの新聞でも生麦事件や東禅寺事件などの報道に比べると全然扱いは小さかったようです。
では何故日本で有名なのかというと、この事件は犯人のメンバーが凄かったんです。 全員長州藩で松下村塾の塾生が中心です。
隊長:高杉晋作 副将:久坂玄瑞 火付け役:井上馨、伊藤博文、寺島忠三郎 護衛役:品川弥二郎、堀真五郎、松島剛蔵 斬捨役:赤根武人、白井小助、山尾庸三 他…
この中から維新を生き延びた人を数人ピックアップします。
品川 弥二郎 第1次松方内閣 内務大臣
山尾 庸三 日本に工業と手話を根付かせた人物
井上 馨 汚職も酷かったが、内閣の要職を歴任し明治政府の財政の立て直しに尽力「維新の元勲」と呼ばれる
伊藤 博文 高杉晋作の舎弟で数々の大騒動に付き合わされる…。当然、初代内閣総理大臣で偉業は書ききれないです。
メンバーは後に日本を牽引することになる本当に凄い人たちです。
ちなみに放火したあとは芝浦の妓楼で燃える公使館を見ながら酒盛りをしていたそうです…
写真:高杉晋作(中央) 伊藤博文(右)
By ナベ
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